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わくわく日記(5)『どんな人生にも雨の日はある』 |
僕の好きなエッセイストの一人に景山民夫がいる。
彼のエッセイの中で一番好きなのが『どんな人生にも雨の日はある』だ。
著者の景山民夫は、放送作家としてデビューし、その後、エッセー、小説を次々と発表したが、文句無く、本書が彼の最高の作品だ。
洒脱で巧妙な文章、それでいて、彼自身の独特な切り口で時代を語っている。
長くても2ページ程度のエッセイの集まりだが、本書こそ、景山民夫の原点であろう。 1960年から70年という日本にとっても多感な時代を放送作家として過ごした著者。 彼が見た当時の日本に対する考え方や生き方は、今、読んでも新鮮だ。
どんな人生にだって雨の日はあるさ、この言葉に僕は救われる。
雨をさけるために傘をさして外にでるか、レインコートまで着込むか、それとも、こんな日は外にでないで部屋で好きな音楽でも聞いているか。。。
仕事においても、いつも成功するとは限らない。
失敗することもある。
「どんな人生にも雨のはある」・・・・・・この言葉に僕は救われる。
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わくわく日記(4)『自分の本当の夢と希望』 |
わくわく仕事をするどころか、今日の仕事を成し遂げるのが精一杯。
それなのに、わくわくする?
そんなの無理、無理。。。
と思ったら、それでお終い。
まずは、自分の「本当の」夢と希望を考えてみよう。
今の仕事は、その自分の「本当の」夢と希望を叶えるための仕事になっているだろうか?
もし、なっていなかったら、どんな選択肢が有るだろう?
■とにかく、今の仕事を習得する
■今の仕事が自分の夢と希望に一致していると思い込ませる。
■さっさと自分の夢と希望を捨てる
■自分の夢と希望を叶える環境を作る
どれが得策だろうか?
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わくわく日記(3)『笑いの耐えない絶えない仕事』 |
笑いが絶えない仕事場は活気が有っていい。
もちろん、みんな真面目に真剣にやっているのだが、笑い、ユーモアの精神までは捨てていないのだ。
このようなチーム、会議では発想が自由自在に飛び交うため、新しいアイディアもでやすい。
「真剣になっても、深刻になるな」である。
笑えない修羅場というのも有る。(例えば、新薬の承認申請前とか、データの最終固定前とか。・・・そうらならないように、計画を立てているはずなのだが。)
しかし、そんな修羅場はそうそう毎日有るわけではない。
しかめっつらして、眉間にシワを寄せているからといって、名案が浮かぶわけではない。
さらに、「笑える」という明るい雰囲気、余裕を常に持っていたいものだ。
だからこそ、ムードメーカーという名前さえ生まれたのだ。
それだけ、重要なのだ。チームのムードというものは。
2005年4月3日
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わくわく日記(2)『詩的な仕事』 |
間違っても『“素敵”な仕事』の入力ミスではなく、あくまでも『“詩的”な仕事』なのだ。
ときどき、論理的に仕事を考えていると煮詰まることが有る。
デッドロックに乗り上げた感じだね。
こんな時に、ブレークスルーを出すためには『詩的』に仕事をするのだ。
なんでもいいから、仕事のアイディアを考える。
できたら、それをメモに書く。
そこから、また、しりとりでもいいし、連想ゲームでもいいので、自由にアイディアを飛躍させる。
「仕事のアイディア韻を踏む」のだ。
たとえば次のように……
わくわく→どきどき→どやどや→やどやど→宿の手配→指名手配→使命打者→氏名打者→氏名ダジャレコーナー!
ということで、「▼氏名ダジャレコナー」のできあがり。
う〜〜〜んと、、、「あのテレビのブラウン管にいるのだは誰?」「ヤモリ」。
2005年3月26日
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わくわく日記(1)『切符切りのにいちゃん』 |
何十年も会社勤めをして、ようやく分かるのだが、どんな仕事をしていても『文句ばかり』を言う人はいる。
同じ仕事をしているのに、ある人は楽しそうにやっているのに、もう一方で『文句たらたら』の人もいる。
どうしてだろう?
はたから見ると、全く同じ業務をやっているように見えるのに、かたや楽しそうにやっており、もうかたほうではブツブツ言っているのだ。
話が14億光年くらい飛ぶが、僕が社会人になりたての頃(今から20年前だ)、電車の『切符切り』という職業が有った。
ただ黙々と、乗客が差し出す切符に鋏を入れるのだ。
これは、誰がどう考えても『退屈でつまらない仕事』だと思っていた。
ところが、ある日、ある光景を見てから、僕の考えは一変した。
若いにいちゃんが切符を切りながら、その鋏を指の間で“クルリ”と回し、そしてすぐに、次の乗客の切符を切っていた。
乗客は次から次へとやってくる。
だから、一人の乗客の切符に鋏を入れて、次の乗客の切符を切るまでには、ものの数秒くらいしかない。
その瞬間とも言うべき数秒に、にいちゃんは“クルリ”と切符切りの鋏を回すのだ。
僕はその光景を見て呆然とした。
そのにいちゃんは鼻歌でも歌いながら、楽しそうに、切符切りの鋏を毎回、一回転(ときには二回転)させているのだ。
誰がどう考えても『退屈でつまらない仕事』はずの切符切りを、そのにいちゃんは自分で工夫して、楽しそうに(少なくとも僕にはそう見えた)、やっているのだ。
その時、僕は「悪かった!俺が悪かった!もう、どんな仕事がきても詰まらないなんて言いません。」と、心に誓った。
【教訓】
私は一日たりと、いわゆる労働などしたことがない。何をやっても楽しくてたまらないから。(トーマス・エジソン)
2005年3月21日
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・関連サイト、ブログ: 「ジュンペイの肩のこらない仕事術」 |